こんにちは。ゆっきぃです🙂
歴史的に価値のあるものは大切にしなければいけません。
例えば、ピラミッド、ローマの遺跡、法隆寺などなど・・・
それらは、過去の人類が残した偉大な宝だからです。

歴史的な価値

ピラミッドは紀元前3000年に作られた。
なんとすごいのだろう。
想像してみてほしい。
今は西暦2019年である。
ざっと5000年も前のものである。
その価値は計り知れないのではないだろうか。
歴史は古いだけで凄いのか?

確かに凄いけど、古いってだけではないか?
貴方はそう思うかもしれない。
そんな時は、こう考えてほしい。
その過去が今につながっているのだ。
人間の平均寿命は80歳前後、長くて100年程度である。
ここで計算を単純化し、寿命100年と仮定する。
そして、それを5000年の歴史と比べてみてほしい。
確かにすごい年月だ。
実に50倍である。
つまり古いというだけで人間50人分の価値があるのだ。
年月の持つ重みと、個体としての人間

歴史は、ちっぽけな人間と比較すると途方もなく長いことがわかった。
しかし果たしてそんなものなのだろうか。
ピラミッドの凄さは、人間の50倍なのか?
確かに人間は一人ひとり貴重な価値がある。
しかし、たった100年程度しか生きないちっぽけな存在である。
個としてみれば貴重であるが、それは個性があるからだ。
個の無い集団で見ると、それは脆弱な炭素化合物の集合体でしか無い。
そんなちっぽけな個体数50の生物を集めてきたものと、
悠久の時を経てなお残る歴史的遺物を同列に扱っていいものだろうか。
連綿と連なる時間軸というもの

それは甚だ疑問である。
いいや違う、歴史的価値は人間50人程度であろうはずがないのだ。
それでは遥かに及ばない。
なぜならそこには連綿と流れてきた、連続した時間軸が存在するからだ。
あなたの思い描いた50人は、クラスメイトかもしれないし職場の同僚かもしれない。
はたまた、たまたま電車で同じ車両に乗り合わせた赤の他人かもしれない。
押し並べて言えることは、現在の時間軸に生きている50人である。
これでは歴史を正しく評価する尺度とはなりえない。
歴史軸に沿った考え方とはなんなのだろうか。
それは言ってみれば、あなたや、その親、先祖を含めたもの。
つまりあなたに連なる50世代の価値なのだ。
宇宙と存在意識

親や先祖がいなければあなたは生まれていない。
ここでは、あなたと家族の関係がどうかなど、問題ではない。
生物学的に見てあなたの父母、祖父母とその先祖、誰一人欠けてもあなたは存在しない。
一人がとても重要な存在である。
ちっぽけな存在でありながらも、あなたにとっては宇宙と等価値なのだ。
あなたは隣人を失っても、宇宙は昨日までと何一つ変わらない。
しかし、あなたの血筋、つまりDNAの伝播者が、あなたの誕生前に失われてしまうならば、あなたの宇宙は存在しないことになる。
歴史や時間とは、すなわち、主観としてのあなたに通じる宇宙の全てなのである。
世代交代に置き換えると

今までは、単純に価値を比較するため、50人という人数を用いた。
しかしこれは、いささか安直過ぎるモデルである。
100年毎に寿命を縦に並べているからだ。
時系列で表せば、実際にはもっと多くなるだろう。
世代交代を30年周期と過程すれば、100年間では約3.3代の発生となる。
5000年間では166代にも及ぶ。
どうだろう。実際はあなたのDNA166個分である。
驚いただろうか?
あなたを辿る166人の祖先達が、ピラミッドと同じ歴史の大河に横たわっていたのだ。
連綿と続くこの流れは、ただ古いというだけでこれだけの価値がある。
文化を受け継ぐもの

時間的価値だけでも、相当なものであることがわかった。
しかし現代社会を謳歌している我々の文明は、先人から受け継がれてきたものだ。
時間という川の流れに浮かぶ方舟が遺伝子だとすれば、その船に載せられた積荷はミームであろう。
ミーム(meme)とは、脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報である。例えば習慣や技能、物語といった社会的、文化的な情報である。
文化的な情報は会話、人々の振る舞い、本、儀式、教育、マスメディア等によって脳から脳へとコピーされていくが、そのプロセスを進化のアルゴリズムという観点で分析するための概念である。
ミームは遺伝子との類推から生まれた概念である。それはミームが「進化」する仕組みを、遺伝子が進化する仕組みとの類推で考察できるということである。つまり遺伝子が生物を形成する情報であるように、ミームは文化を形成する情報であり、進化する。
さらに遺伝子の進化とミームの進化は無関係ではなく、相互に影響しあいながら進化する。
参考:wikipedia
何故ならDNA、すなわち私達の身体はミームを運ぶための手段であり、命とはそのために生成された道具に過ぎない。
私達の存在する目的、それこそがミームである。
言うなれば、ミームこそが我々の追い求める心であり、魂であるのだ。
ミームによって伝えられるもの、それは文化である。
歴史とは、時間の重みだけでなく、そこに文化や芸術、学術的な価値を包含する計り知れないものなのだ。
失われた過去の功罪

ときにテロリストが、歴史的遺物を破壊することがある。
タリバンのアフガニスタンのバーミヤン遺跡の破壊しかり、イスラム国のシリアのパルミラ遺跡の破壊しかりだ。
人類の残してきた貴重な軌跡の喪失。
これらの行為は、もちろん許されざる行いであり万死に値するのだろう。
過去の権威や伝統を破壊することで、人々の拠り所を奪い、自分たちが新たな権威となることで屈服させるという、精神的なアプローチ。
人という移ろいゆく命よりも、遺跡という何百年も何千年もそこにあり続けた固定的な概念を破壊することで、自らの絶対性を示し、神格化する。
そしてなにより、そのような話題はセンセーショナルであり、世界中のメディアに注目され、こぞって取り上げられる。
そこには、自分たちの意義を世界へ発信するという政治的な戦略が伺える。

人類の共通財産の喪失という面からみるとたしかにこれは、大きな損失である。
しかしながら、人間というものを、激動する権力と闘争の歴史という面から見れば、その行い自体も、それ自体が歴史を紡ぐという、大きな一連の出来事ではないだろうか。
自由を掲げた市民によって、バスティーユ牢獄の門が破壊されたように、繰り返される悲劇と栄光の中から、新たな光が奔流となって流れ出すのである。
バスティーユ襲撃とは、1789年7月14日にフランス王国パリの民衆が同市にあるバスティーユ牢獄を襲撃した事件である。
フランス革命のはじまりとされる。
参考:wikipedia
まとめ

今回は、歴史的価値のあるものということで、思い浮かべやすい歴史的遺物であるピラミッドを中心に話を進めました。
しかし、そんな大げさなものでなくとも、歴史的に価値のあるものは身の回りに驚くほど多く存在します。
あなたの街の神社や仏閣、地球の歴史を感じさせる地層からそのへんの石ころまで、全てが歴史の上に成り立っています。
あなたが子供の頃に遊んでいたぬいぐるみ。
あなたの実家の柱に刻まれた、子供の身長を記録して彫った跡。
そんなものでさえも、あなたの世界においては、ピラミッドと同じくらい歴史的な価値のあるものなのです。
今の私達は、情報が反乱し、今までの価値観や意味が希薄化し、自分を見失いやすい時代を生きています。
何が大切で、何を残し、何を生み出して後世に伝えていくべきなのか、考えていかなくてはなりません。
それではまた、次回お会いしましょう👋